鹿児島地方裁判所 平成10年(ワ)301号 判決 1999年7月05日
原告
甲野株式会社
右代表者代表取締役
甲野花子
原告
甲野花子
原告
甲野夏子
原告ら訴訟代理人弁護士
野間俊美
被告
第一生命保険相互会社
右代表者代表取締役
森田富治郎
被告
日本生命保険相互会社
右代表者代表取締役
宇野郁夫
被告
住友生命保険相互会社
右代表者代表取締役
吉田紘一
被告ら訴訟代理人弁護士
鈴木祐一
右同
西本恭彦
右同
野口政幹
右同
水野晃
右同
小林一正
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 原告らの請求
一 被告第一生命保険相互会社(以下「被告第一生命」という。)は、原告甲野株式会社(以下「原告会社」という。)及び原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し、それぞれ金五五〇〇万円及びこれに対する平成一〇年二月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 被告日本生命保険相互会社(以下「被告日本生命」という。)は原告花子に対し、金二億二〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年二月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告住友生命保険相互会社(以下「被告住友生命」という。)は、原告会社に対し金一〇〇〇万円、原告甲野夏子(以下「原告夏子」という。)に対し金二億円及びこれらに対する平成一〇年二月一九日から支払済みまでそれぞれ年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告らが、甲野太郎(以下「太郎」という。)を被保険者、被告らを保険者とする各生命保険契約に基づき、太郎の死亡による保険金の支払いを請求するのに対し、被告らが、太郎の死亡は「保険契約締結の日から一年以内の自殺」「不慮の事故にあらざる自殺」あるいは「保険金取得目的の自殺」であると主張して、その支払いを拒否する事案である。
一 保険契約(争いがない)
当事者間には、次の保険契約がある。
1 被告第一生命
(一) 保険契約①(終身保険リードU 証券番号<略>)
(1) 契約者 原告会社
(2) 契約日 平成九年三月一日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告会社
(5) 死亡保険金
主契約 一〇〇〇万円
特約(不慮の事故による死亡)
五五〇〇万円
(二) 保険契約②(終身保険リードU 証券番号<略>)
(1) 契約者 太郎
(2) 契約日 平成九年三月一日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告花子
(5) 死亡保険金
主契約 四〇〇万円
特約(不慮の事故による死亡)
五五〇〇万円
2 被告日本生命
(一) 保険契約③(ニッセイ三大疾病保障終身保険 証券番号<略>)
(1) 契約者 太郎
(2) 契約日 平成九年二月一三日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告花子
(5) 死亡保険金 二〇〇〇万円
(二) 保険契約④(ニッセイ終身保険 証券番号<略>)
(1) 契約者 太郎
(2) 契約日 平成九年二月二一日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告花子
(5) 死亡保険金
主契約 一〇〇〇万円
特約(不慮の事故による死亡)
二億円
3 被告住友生命
(一) 保険契約⑤(団体定期保険証券番号<略>)
(1) 契約者 原告会社
(2) 契約日 平成二年一〇月一日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告会社
(5) 死亡保険金
主契約 一〇〇〇万円
特約(不慮の事故による死亡)
二〇〇〇万円
(二) 保険契約⑥(定期保険特約付終身保険 証券番号<略>)
(1) 契約者 太郎
(2) 契約日 平成九年三月一日
(3) 被保険者 太郎
(4) 死亡保険金受取人 原告夏子
(5) 死亡保険金
主契約 三五〇万円
特約(不慮の事故による死亡)
二億円
二 太郎の死亡(争いがない)
太郎は、平成九年六月一二日午前六時三九分ころ、鹿児島市田上町<番地略>先路上(国道三号線鹿児島バイパス)において、軽四輪乗用自動車を運転中、対向車線を走行してきた永吉文蔵運転の大型貨物自動車と正面衝突(以下「本件事故」ということがある。)し、即死した。
三 保険金の支払い状況(争いがない)
原告らは、被告らに対し、平成一〇年二月一八日を支払期限と定めて、各死亡保険金の支払いを催告したが、被告らは、次の保険金を支払わない。
1 被告第一生命 保険契約①、② 各全額
2 被告日本生命 保険契約③、④ 各全額
3 被告住友生命 保険契約⑤不慮の事故による死亡保険金一〇〇〇万円 保険契約⑥ 全額
第三 争点
一 被告らの主張
1 太郎の死亡は、以下のとおり、同人が保険金を不法に取得し、自己及び自己が代表取締役を務めていた原告会社の巨額の債務の弁済に充当する目的で、自己を被保険者として本件各保険契約を締結し、その保険金を取得する目的で自殺を図ったものである。
(一) 本件事故の不自然性
(1) 本件事故現場は、国道三号線鹿児島バイパス上の武岡トンネル方向から大峯団地へ緩やかな左カーブを過ぎた後の片側幅員3.3メートルの対向二車線の平坦な直線路上であり(甲一、七、八)、事故当時(平成九年六月一二日午前六時三九分)は、天候は曇りであったが現場道路の見通しは極めて良好であった(乙六22頁)。
(2) 永吉文蔵が運転する大型貨物自動車(以下「永吉車」という。)が国道三号線鹿児島バイパスを大峯団地方向から武岡トンネル方向へ時速約六〇キロメートルで走行中、永吉車と太郎運転の軽四輪乗用自動車(以下「太郎車」という。)が、わずか15.9メートルの距離に近づいたとき、太郎車が急にハンドルを右に切ってセンターラインを超えて、永吉車と正面衝突した(甲七、八、乙六)。
(3) 永吉文蔵は、衝突時の太郎の様子について「とっさのことであまりよくは見ていなかったが、(太郎は)少し前屈みになって、ハンドルにしがみつくような格好で顔を下に向けていたような感じに見えた」と供述している(乙六22・23頁)。
(4) 永吉車には急制動のブレーキ痕があるのに、太郎車にはブレーキ痕、スリップ痕がない(甲七)。本件事故現場のセンターラインにはチャッターバー(キャッツアイ・高さ六センチメートル、縦一六センチメートル、横二二センチメートル)が埋め込まれているので(甲七、乙六)、太郎が仮に居眠り運転、脇見運転をしていたとすれば、センターラインを超える際にはチャッターバーを乗り越えるため相当の衝撃を感じ、衝突を避けるため、ハンドルを操作し、ブレーキを踏む等の反射的行為にでるはずであるが、それがない。
(二) 本件事故前の太郎の行動の異常性
(1) 軽自動車への乗り換え
太郎は、従前は頑丈な高級普通乗用自動車(トヨタ・セルシオ)に乗っていたが、本件事故前からわざわざ軽四輪乗用自動車(三菱・ミニカ)に乗り換えていた。これについて、原告会社の経理担当社員の野田邦子(以下「野田」という。)は、同人に対し、太郎が「自殺ということが判らないように死ぬ。」「相手の運転手には悪いが、車で相手の車に衝突して交通事故で死ぬ。」「死ぬときは軽四でやる。」と本件事故と同様な自殺の方法を話していたこと、太郎が平成九年五月末ころから、セルシオに乗らず、ミニカでいつも行動するようになったことを供述している(乙七の1、証人野田)。
(2) 自殺を企図した言動(平成九年三月ころ)
太郎は、平成九年三月ころから、借金に追いつめられており、野田に対し、「自分で死ぬ(自殺する)。借金は保険が出るから、それで整理してくれ。」「自殺ということが判らないように死ぬ。」「相手の運転手には悪いが、車で相手の車に衝突して交通事故で死ぬ。」「死ぬときは軽四でやる。」と保険金を目的とする自殺を仄めかしていた(乙七の1、証人野田)。
(3) 本件事故前の太郎の言動(平成九年五月末ころ)
平成九年五月末ころ、太郎は、野田に対し、一九九万円の小切手の決済ができないことから、「どうにもならない。」「いよいよ死のうと思う。」と述べた(乙六、七の1)。
(4) 本件事故前の太郎の言動(平成九年六月一〇日、一一日ころ)
太郎は、平成九年六月一〇日、野田に対し、「明日、曽原社長(太郎の債権者)の所に行く。そして、曽原社長を連れだして車に乗せて、交通事故に見せかけて、一緒に死ぬ。曽原社長は敵が多いから、曽原社長が死ねば世間は喜ぶ。」、原告会社について「保険金が出たら、会社の借金を全部清算してくれ。『甲野』の名前はそのまま残して不動産部にし、うちの家族は不動産の家賃で食べていけるようにしてくれ。会社の事業は別会社を作ってやってくれ。家族は役員に入れてくれるな。」と自殺の決意を語り、野田が翻意させようとしても、「俺は決めた。先に(あの世に)行くからね。印鑑は金庫の引き出しの中に全部入れてあるからね。」と述べて、野田に原告会社の金庫の鍵を交付した(乙七の1、証人野田)。
(三) 原告会社及び太郎の巨額の負債
(1) 八億円に及ぶ負債
原告会社及び太郎の本件事故当時の債務総額は八億円である(乙六、八、九〜一一の各1・2、一二、一三の1・2、一四)。
(2) 原告会社の経営破綻
(イ) 平成八年四月期決算の売上げは約三億九三五〇万円、利益は約一〇七万円に過ぎない(乙八11頁)。
(ロ) 取引先の倒産により、平成八年から同九年四月にかけて、約一億二〇〇〇万円の回収不能債権が発生している(乙八13頁)。
(ハ) 太郎は、平成元年原告会社の本社ビルを購入建築後、計画性なく次々不動産を購入する放漫経営を行い、債務が膨らむばかりであった(乙六68・91〜93頁、九〜一一の各1・2、一二、一三の1・2、一四)。
(ニ) 平成九年四月期の決算は約一億三〇〇〇万円の赤字である(甲一一、乙六)。これは経常利益の段階で約三五〇〇万円の赤字があるのに加え、多額の借入による金利の負担が重荷になったものと考えられる。
(四) 本件各保険契約の異常性
(1) 保険金総額が巨額である。
太郎及び原告会社が締結した保険契約の総額は、被告ら以外に生命保険二社、損害保険七社の保険金総額一四億四四二六万〇七二四円である。仮に保険金総額が原告ら主張の一二億三四二九万円(甲一〇)としても、巨額であり、異常な付保状況である。
(2) 契約日時と本件事故の近接
本件各保険契約の締結日は、保険契約⑤を除き、本件事故発生から三ケ月しか離れていない。
2 したがって、本件各保険契約について、太郎の死亡(自殺)は、次の各支払い免責事由に該当する。
(一) 一年以内の自殺(保険契約①〜④、⑥)
本件保険契約①〜④、⑥については、太郎の死亡は、保険契約締結の日から一年以内の自殺であるから、責任開始の日から起算して一年以内の自殺について保険金の支払い免責を定めた次の保険約款に該当する。
(1) 保険契約①② 保険約款一条(乙一)
(2) 保険契約③④ 保険約款一条(乙二、三)
(3) 保険契約⑥ 保険約款七条一項一号(乙五)
(二) 自殺=被保険者の故意による死亡(保険契約⑤)
本件保険契約⑤の不慮の事故による死亡特約に基づく災害保険金については、被保険者の故意による死亡の場合には、支払いが免責される(乙四の保険約款一四条一項一号、五条)ところ、太郎の死亡は自殺であるから、この免責事由に該当する。
(三) 公序良俗(民法九〇条)違反(保険契約①〜④、⑥)
本件保険契約①〜④、⑥は、各保険金を不正に取得する目的でなされた契約であり、公序良俗に違反し、無効である(民法九〇条)。
二 原告らの反論
1 太郎の死亡は、太郎の脇見運転、同乗者との会話に気をとられた等により、太郎が前方不注意によってセンターラインをオーバーして走行したために発生した交通事故によるものであって、不慮の事故による死亡である。
2 次のとおり、本件事故の具体的態様、事故当日前後の太郎の行動等から見て、自殺である可能性はない。
(一) 死亡前夜(平成九年六月一一日)の太郎の言動
(1) 太郎は、午後一〇時ころ帰宅し、夕食をとった後、午後一一時ころ、埼玉県の義弟と電話で会話したが、その話しぶりにふだんと変わったことは全くなく、声も普通で特に落ち込んでいる様子はなかった。
(2) 太郎は、午後一二時ころ就寝したが、寝る前に妻の原告花子に「明日は朝早く阿久根に行かなければならないから、早く寝る。」と言って寝室に入った。
(二) 死亡当日(平成九年六月一二日)の行動予定
(1) 太郎は、鹿児島県阿久根市内の有限会社阿久根平和に対し、原告会社振出しの手形(一〇〇〇万円)のジャンプを依頼に行くところであった。
(2) 太郎は、同日午前中、鹿児島相互信用金庫武町支店の支店長と面談する約束をしていた。
(三) 事故の態様
(1) 太郎は、本件事故の際、乙川秋子を助手席に同乗させていた。
(2) 対向車に自車を衝突させる交通事故は自殺の方法としては、きわめて不確実である。
3 本件各保険加入の経緯について
太郎が、本件各保険の他、多額の生命保険・損害保険(甲一〇)に加入したのは、平成九年一月ないし二月ころ、友人が胃ガンを患ったことを耳にして心配になり、胃ガン検診を受けたことがきっかけである。検診結果に異常はなかったが、太郎は、人一倍原告会社や家族思いの性格であったので、将来万一のことがあったときのことを考えて、本件各保険を掛け増していったものであり、特別異常な加入状況ではない。
4 原告会社及び太郎の経済状態について
(一) 原告会社
原告会社の平成九年四月決算では、約一億二五八四万円の当期末損失処理をしている(甲一一)が、貸借対照表において固定資産として土地建物の資産が大きな比重を占めていること、損益計算書において工事高が四億二九二一万円余りに上っていることからもわかるように、原告会社の経営が破綻状態にあったわけではない。また、これまで手形の不渡事故を起こしたこともない。
(二) 太郎
同人は、原告会社の代表者として月額一三六万円の報酬を得ており、サラ金からの借入があったわけでなく、経済的に破綻していたということはない。
5 野田の供述の信用性
野田は、本件事故後、原告花子に対して「あれは事故です。共に頑張りましょう。」と励ましていたところ、その後(平成九年九月ころ)、原告花子から突然解雇を通告されるや、それまでの態度を急変させ、警察、保険会社、取引先等に対して「あれは自殺ですよ。」と自分から言いふらし始めるようになった。
このように、野田は、右解雇の恨みから、原告らを困惑させる意図で虚偽の供述をするようになったものであり、同人の供述は信用できない。
第四 当裁判所の判断
一 本件事故の状況について
1 前記争いのない事実の一部(第二の二)及び証拠(甲一、二、七、八)によれば、本件事故の状況は次のとおりと認められる。
(一) 本件事故の発生日時は、平成九年六月一二日午前六時三九分ころで争いがない。
(二) 本件事故現場は、国道三号線鹿児島バイパス上であり、武岡トンネルから西方へ約二五〇メートルの地点(鹿児島市田上町<番地略>先)である。現場道路は、武岡トンネル方向から大峯団地方向へゆるやかな左カーブを過ぎた後の直線路で見通しは良く、道路は、チャッターバー(キャッツアイ)が埋め込まれた白線を黄色線で挟んだ中央線より上下線に区分されている。上下線ともアスファルト舗装された幅員七メートルの平坦な道路で、事故当時の天候は晴れ、路面は乾燥していた。なお、上り車線(武岡トンネル方向から大峯団地方向)は、時速五〇キロメートル、下り車線(大峯団地方向から武岡トンネル方向)は、時速四〇キロメートル(ただし、衝突地点から大峯団地方向へ約五〇メートルの地点から時速六〇キロメートル)の最高速度規制がされている(甲七)。
(三) 本件事故は、上り車線を走行していた太郎運転の軽四輪乗用自動車(三菱ミニカ)がセンターラインを超えて下り車線に進入し、下り車線を走行してきた永吉文蔵運転の大型貨物自動車と正面衝突して発生したものであるが、その詳細は次のとおりである。
(1) 永吉は、下り車線を時速約六〇キロメートルで走行(永吉車の前には車はなかった。)していたところ、対抗する上り車線を時速六〇キロメートル程で走行してきた太郎車(太郎車の前には車はなかった。)が、下り車線に進入してきた(乙六22・23頁)。永吉は、太郎車が下り車線に進入してきたとき、すぐに危険を感じて急制動をかけた(乙六22・23頁)が、太郎車と正面衝突し、衝突後、太郎車は永吉車の下に潜るような形となり、約二〇メートル太郎車を押し返して停車した(甲七現場見取図Ⅱ、八現場見取図)。
(2) 太郎車がセンターラインを超えて下り車線に進入してきた時点での、太郎車と永吉車の間の距離については、実況見分時(甲七)と後に行われた被告第一生命の事故調査時点(乙六)で永吉の説明に違いがある。
ところで、自動車の運転者が急制動をかける際には、危険を認識して、それに反射し(反射時間)、アクセルペダルからブレーキペダルに踏み換え(踏換時間)、ブレーキペダルを踏み込み、ブレーキが効き始めるまで(踏込時間)のいわゆる「空走時間」に、一般に約0.7ないし0.8秒を要するとされていることは公知の事実であるが、永吉車も太郎車もいずれも時速約六〇キロメートルで走行していたというのであるから、右空走時間内に永吉車は11.7メートルないし13.3メートルの距離を進行し、両車の間隔は、23.3メートルないし26.7メートル接近するものと考えられる。
実況見分の結果を見ると、永吉車は制動開始後に太郎車と衝突していると認められるところ(甲七見取図Ⅱ)、永吉が実況見分において、センターラインを超えようとする太郎車を認めて危険を感じ、急制動をかけた地点として指示説明した地点(同見取図)から衝突地点(同見取図)までの間隔は8.6メートルしかなく、しかも間のほぼ中間点から制動痕が路上に印象されている(同見取図)のに、永吉がセンターラインを超えようとする太郎車を認めて危険を感じ、急制動をかけたその時点での両車の間隔は15.9メートルしかなかったことになる(甲七見取図Ⅱ〜②)から、永吉が実況見分において指示説明したセンターラインを超えようとする太郎車(同見取図②)、その時の永吉車(同見取図)の各地点は、右空走時間に関する経験則に矛盾することになる。したがって、実況見分における両車の距離関係に関する永吉の説明は、にわかに採用できない。
他方、被告第一生命の事故調査においては、永吉は、太郎車がセンターラインを超えて下り車線に進入してきた時点での、太郎車と永吉車の間の距離は、約一〇〇メートル、衝突地点の約五〇メートル先の地点で太郎車が下り車線に進入してきたと説明している(乙六23頁)が、この位置関係は右空走時間に関する経験則には矛盾しない。なお、本件現場の路上に残された制動痕、衝突痕の位置関係(甲七見取図Ⅱ)、両車がいずれも時速約六〇キロメートルで走行していたこと、永吉車は太郎車がセンターラインを超えて下り車線に進入してきた時点で直ぐに急ブレーキをかけたことを前提条件として、永吉車のブレーキが効き始め路上に制動痕が付き始めるまでの時間(過渡時間)が約0.3秒(その間の永吉車の進行距離が約五メートル)とし、制動痕の始まりと衝突地点までの距離が約五メートル(同見取図からの推認)として、右空走時間に関する経験則から認められる空走時間に接近する両車の位置関係から計算すると、太郎車がセンターラインを超えて下り車線に進入してきた時点での、太郎車と永吉車の間の距離関係の再短距離は、約四五メートル前後((5+5)×2+23.3〜26.7)であると推測される。
そうすると、被告第一生命の事故調査における永吉の説明(乙六23頁)は、一応合理的であり、太郎車がセンターラインを超えて下り車線に進入してきた時点での太郎車と永吉車の間の距離は、これに従って約一〇〇メートル程度と認めることができる。
(3) 衝突現場においては、永吉車の制動痕は認められるが、太郎車の制動痕は認められない(甲七見取図Ⅱ)。
(四) 本件事故の際の太郎の運転動作について、永吉は、被告第一生命の事故調査において、太郎車は衝突地点から約五〇メートル先で、センターラインを超えて下り車線に進入し、ハンドルを立て直し、そのまま真っ直ぐ永吉車の方に突っ込んで来たこと、太郎車は速度を落とすこともなく、どちらに避けることもなかったこと、太郎の様子は、とっさのことなのでよく見ていないが、少し前屈みになって、ハンドルにしがみつくような格好で、顔を下に向けていたことを説明している(乙六23〜25頁)。
(五) 本件事故現場のセンターラインには、衝突地点の太郎車の進行方向約二五〇メートル手前からチャッターバー(キャッツアイ、大きさ一六センチメートル×二二センチメートル、高さ六センチメートル)が五メートルごとに埋め込まれており(乙六26頁)、自動車がセンターラインを超えて対向車線に進入しようとする際には、タイヤがこれに乗り上げて車体が振動し、ハンドルにかなりのショックを受けるものと認められる。
(六) 太郎の助手席には、同人と愛人関係にあった乙川秋子が同乗しており、本件事故により、太郎と一緒に即死している(甲七、乙六)。
(七) なお、原告花子は、太郎車の後ろを走っていたタクシーの運転手が太郎車が事故の直前ジグザグ運転をしていたことを目撃しているとの証言をしている(原告花子24項、証人井出ノ上6項も同旨)が、右目撃証言は風評の類に過ぎず(原告花子24項)、永吉の説明内容に照らしても、そのまま採用できない。
2 事故状況から考えられる事故原因
(一) 原告は、事故原因について、太郎の脇見運転等の不注意によるものであると主張している。
しかしながら、本件事故の態様、特に太郎車がセンターラインを超える際には、チャッターバーにタイヤが乗り上げて振動し、ハンドルにも相当なショックを感じたものと考えられるにもかかわらず、太郎車がそのまま進路を変更することなく、下り車線に進入し、急制動や転把等の衝突回避動作を行った形跡もないまま、永吉車と正面衝突した事実からすると、本件事故の原因が、太郎の居眠り運転や脇見運転等の不注意によるものは考え難い。
(二) 本件事故の態様は、被告の主張する太郎の自殺という事故原因と、状況的には符合するものである。
二 太郎の保険契約の状況
証拠(甲一〇)によると、太郎を被保険者とする生命保険の加入状況は、平成二年から同六年末までに加入した生命保険契約が三件、保険金額合計五億二二五〇万円に及んでいたところ、平成七年中は一件(保険金額六〇〇万円)、平成八年中も一件(保険金額一億円)、平成九年二月中には二件(保険契約③④)、保険金額合計二億二〇〇〇万円、毎年三月一日には同日付けで三件(保険契約①②⑥)、保険金額合計三億一〇〇〇万円の保険に加入しており、生命保険金の総額は一一億五八五〇万円、損害保険の保険金も合算すると一二億三四二九万円に及ぶ事実が認められる。
ここでは太郎が平成八年までに既に保険金総額が六億円を超える生命保険に加入していながら、平成九年二月中旬から三月一日にかけて更に高額の生命保険に続けて加入している事実が特に注目される。
三 原告会社及び太郎の債務の状況
1 原告会社の平成九年四月期決算(甲一一)によれば、長期借入金が約五億八二〇〇万円、流動負債のうち短期借入金が約二億五三〇〇万円、負債の合計が約一〇億二四〇〇万円であり、営業損益は赤字、営業外損益も約三四〇〇万円を超える赤字で、そのうち約四六〇〇万円の支払い利息が計上されていることが認められる。
また、被告第一生命の調査(乙六67・68、71〜75、80・81頁)によれば、これらの債務は、太郎が不動産を過大に購入したことが原因で生じたものであること、原告会社は平成八年四月ころ大口の取引先であったダイコクの倒産により一億円ほどの貸し倒れが発生して後、資金繰りが苦しくなったこと、平成九年四月ないし五月ころから、鹿児島相互信用金庫から再建支援の検討が始まっていたこと、同年六月五日には原告会社は手形決済資金が用意できず、同信用金庫武町支店の緊急融資で不渡りをしのいだことが認められる。
2 被告第一生命の会計事務所における調査結果(乙六97〜104頁)によれば、原告会社の平成九年四月期決算の長期借入金のうち、約一億一一〇〇万円は太郎からの借入であり、これは太郎が会社の運転資金として個人的に調達した資金と考えられるところ、この個人債務の借入先は、日栄をはじめとする高利の金融業者であることが認められる(乙六104頁)。
四 野田の供述等について
1 野田の供述の概要
(一) 原告会社・太郎の借金の状況について
(1) 平成九年三月ころ、太郎は、借金で追いつめられている状況にあった(乙七の1、証人野田10・21項)。
(2) 本件事故当時の原告会社の借金は、日栄からの借金(六〇〇万)を含めて、全部で八億五〇〇〇万円位はあった。その他社会保険等の滞納分を含めると、ざっと一〇億円位にはなっていたと思う(乙六49頁、七の1、証人野田11項)。
(二) 太郎から保険金目的での自殺の意図を告げられた経緯について
(1) 平成九年三月ころ(被告第一生命の保険に加入するころ)、野田は、太郎から「自分で死ぬ(自殺する)。借金は保険が出るから、それで整理してくれ。」と言われた。このような話は、たびたび太郎から聞かされていたが、このころ太郎は借金で首が回らなくなっていたので、本当に自殺してしまうのではないか、という危機感を持った(乙六、七の1、証人野田21項)。
(2) 太郎はこのころ自殺を決めていたようで、保険にいかに多額に加入するかを考えていた。被告第一生命にも太郎の指示で野田が連絡して担当者を呼び、野田が同席したところで、太郎は個人を契約者として基本一億、災害一億の保険金の契約、会社を契約者として同額の保険の加入を申し込んだ(乙六48頁、一五)。
(3) 太郎の生命保険の保険料は、原告会社の負担で支払っていた(証人野田20・56項)。
(三) 自殺の方法に関する太郎の話
(1) 被告第一生命の保険に加入するころ、太郎は、生命保険に加入後一年以内の自殺は保険金がでないことを知っていた。太郎は、野田に、「自殺ということが判らないように死ぬ。」と言っており、その死に方としては「相手の運転手には悪いが、車で相手の車に衝突して交通事故で死ぬ。」「死ぬときは軽四でやる。」と言っていた(乙六48頁、七の1、証人野田22項)。
(2) 五月末ころから、太郎はそれまで乗っていたセルシオには乗らず、軽四輪乗用自動車で行動するようになった(乙六50頁、七の1)。
(四) 本件事故直前の原告会社の窮状と太郎の言動について
(1) 東邦生命の保険料として振り出した一九九万円の小切手の決済日前日の五月二八日、太郎は、野田に「いよいよ死のうと思う。もうどうにもならない。」と電話を架けてきた。野田が翻意を促すと、太郎は「とにかくうちのに話して、小切手だけは落としてくれ。」と言うので、野田は原告花子にその話をしたところ「会社なんかどうなってもいい。私お金は一銭もありません。」と断ったので、元原告会社の常務の甲野二郎(太郎の実兄)と相談して、丙田三郎(原告花子の父、太郎の義父)から二〇〇万円を借り、小切手を決済した(乙六50・51頁、七の1)。なお、六月五日に支払うべき原告会社の五月分の社員の給料は資金調達ができなかった(乙一五、証人野田20項)。
(2) 日本生命の保険料の支払いは、五月二九日に約二二八万円、同月三一日に約四三万円を、いずれも小切手で支払った(乙六51・52頁、一五、証人野田20項)。
(3) そのころ返済期限がきていた借金は、鹿児島銀行伊集院支店、第一勧銀等全部で二五〇〇万円位あり、とても返済できる状況ではなかったので、六月五日に阿久根市の阿久根平和というパチンコ店の石山社長から六月一二日の支払期日の手形で一〇〇〇万円を借りた。また、鹿児島相互信用金庫武町支店にも相談して六日午前に八四〇万円の融資を受け、その中から鹿児島銀行に一五〇万円返済し、他の何件かは手形のジャンプを依頼して最終的には五〇〇万円ほど不足したが、その時点では手形の不渡りにはならなかった(乙六52頁)。
(4) 太郎は、鹿児島市西田<番地略>に土地を所有しており、太郎が原告会社に売却(所有権移転登記は未了)した形で、五洋建設に依頼してマンションを建築したが、建築代金が支払えず、表示登記も未了のままであったところ、太郎が二〇〇〇万円の借金のある曽原商事の曽原社長が、その借金のかたに、その新築マンションを自己名義に登記しようとし始めていた。そして六月一〇日ころ、太郎は、野田を呼び、「明日、曽原社長のところに行く。曽原社長を連れ出して車に乗せて交通事故に見せかけて一緒に死ぬ。曽原社長は敵が多いから、曽原社長が死ねば世間は喜ぶ。」「保険金が出たら、会社の借金を全部精算してくれ、『甲野』の名前はそのまま残して不動産部にし、うちの家族は不動産部の家賃で食べていけるようにしてくれ。会社の事業は別会社を作ってやってくれ。家族は役員に入れてくれるな。家族が食べていけるようにしてくれ。」と言い、野田が翻意を強く促しても「俺は決めた。先に行くからね。印鑑は金庫の引き出しの中に全部入れてあるからね。」と言って野田に原告会社の印鑑を保管した金庫の鍵を渡したが、野田は太郎が印鑑を人に預けることはなかったので太郎の自殺の決意の強さを感じた。(乙六52〜54頁、七の1、一五、証人野田24〜26項)。
(5) 六月一一日午後四時ころ、太郎から「曽原の横には暴力団のボディーガードがついていて、連れ出すことができなかった。」と野田に電話があった(乙六54頁、七の1、証人野田25項)。
(6) 六月一一日、鹿児島相互信用金庫から電話があり、六月一二日に予定している原告会社の資金繰りの相談に、太郎だけでなく野田も出席するように要請された(乙六55頁、七の1)。
(7) 六月一一日、野田は太郎からの電話に対し、六月一二日が阿久根平和から借りた一〇〇〇万円の小切手の支払期日なので、一二日早朝に阿久根平和の石山社長に支払いの延期を依頼するため阿久根に行くように伝えた(乙六55頁、七の1)。
(8) 野田は、太郎が自殺するのではないかと心配で眠れず、六月一二日の早朝五時三五分ころ、原告花子方に電話をして、太郎が昨晩帰宅したかどうか、阿久根に行ったかどうかを尋ねたところ、原告花子は、太郎は昨晩帰宅したがもう出かけた、阿久根に行ったと思うと答えたのでほっとした(乙六56頁、七の1)。
(五) 供述の動機について
太郎の死が自殺であることを話そうと思った動機は、自分が真実を話さなければ、本件事故の相手の運転手が加害者になると相談した弁護士に言われたからである(乙六37頁、七の1、証人野田6項)。
2 野田供述の信用性について
(一) 本件事故は太郎の保険金目的の自殺であるという被告の主張の最も根幹になる証拠は野田邦子の供述(乙六36〜60頁、七の1、一五、証人野田。以下「野田供述」という。)である。
これに対し、原告は、野田は原告会社から解雇された憤懣から虚偽の事実を供述しているとして、野田供述の信用性を強く争っているので、野田供述の信用性から検討する。
そして野田供述の信用性は、供述内容が客観的事実と合致しているか、その他の証拠との矛盾はないかどうか、供述内容は合理的かどうか等の観点から、まず検討すべきである。
(二) 客観的事実との合致、その他の証拠との矛盾の有無
(1) 原告会社・太郎の借金の状況について
原告会社・太郎の借金の状況に関する野田供述は、右三に認定した原告会社・太郎の債務の状況と合致している。
(2) 生命保険の加入状況について
太郎が平成八年までに既に保険金総額が六億円を超える生命保険に加入していながら、平成九年二月中旬から三月一日にかけて更に高額の生命保険に続けて加入している事実は、そのころ、太郎から保険金目的での自殺の意図を告げられたという野田供述と合致する。
(3) 軽四輪自動車に乗り換えたことについて
被告第一生命の調査に対し、坂元常夫は、本件事故の一週間ほど前、太郎がいつも乗っているセルシオの調子がおかしいので、しばらくここに置かしてくれといってセルシオを庭先に置いて、伊集院工場の軽四輪乗用自動車(ミニカ)に乗り換え、二、三日後、セルシオを太郎が伊集院工場の敷地内に移動させたと供述している(乙六63頁)ことが認められる。この供述によれば、太郎は、いつも乗っていたセルシオの調子が悪いといいながら、自動車工場に預けることもせず、伊集院の原告会社の工場敷地に置き、ミニカに乗り換えていたことが認められる。この事実は、軽四輪自動車で交通事故に見せかけて自殺すると述べたという太郎の自殺の方法に関する野田供述と合致する。
(4) 坂元からの二〇〇万円の借用について
被告第一生命の調査に対し、丙田三郎は、時期こそ異なるものの、野田と太郎の兄の二郎が二人で丙田方を訪れ、太郎に対し二〇〇万円を貸したことを認めている(乙六65頁)。また、会計事務所における調査においても、太郎の個人借入先として「丙田」に対する二〇〇万円の借金が計上されていることが認められる(乙六104頁)。これらの事実は、東邦生命の保険料の決済についての太郎の発言、野田自身の行動に関する野田供述の裏付けになりうると考えられる。
(5) 六月五日ころの原告会社の手形決済資金について
被告第一生命の調査に対し、鹿児島相互信用金庫武町支店支店長は、原告会社は平成八年四月ころ大口の取引先であったダイコクの倒産により一億円ほどの貸し倒れが発生して後、資金繰りがおかしくなり、平成九年四月ないし五月ころから、太郎と原告会社の債権を同信用金庫が支援するかどうかを検討する相談を開始し、再建支援を検討するに当たって原告会社の財務状況に関する資料の提供を求めていたこと、ところが同年六月五日に太郎から手形決済資金が用意できず、不渡りになるかもしれないという相談があり、同支店としては、倒産を防ぐために本店の融資の許可を得て手形決済資金の手配を行い急場をしのいだこと、再建計画を早期に作成するため、六月一〇日に太郎に財務状況等について説明を求めたが、太郎からは要領のある説明を受けられなかったため、太郎は経理の野田と一緒に再度説明する約束をしたこと、翌一一日には太郎が来店しなかったため、野田に電話をして連絡を取り、太郎は六月一二日の午前中に来店すると約束したことを説明したことが認められる(乙六71〜75頁)。
また、被告第一生命の調査に対し、鹿児島銀行伊集院支店も、原告会社が六月五日の手形決済資金の不足を鹿児島相互信用金庫の緊急融資で切り抜けた事実を認めている(乙六80・81頁)。
これらの事実は、原告会社が平成九年六月五日手形不渡りの危機を迎えるほど資金難に陥っていたこと等本件事故当時の原告会社の経営状況、一二日の同信用金庫との相談予定等に関する野田供述の裏付けになりうると考えられる。
(6) 阿久根平和に対する借金について
甲九は、原告会社が振り出した額面一〇〇〇万円の約束手形であり、受取人白地、振出日白地、支払期日平成九年六月一二日、第一裏書人阿久根平和、平成九年六月一一日取立委任裏書がなされている。この手形は、太郎が六月五日に阿久根市の阿久根平和というパチンコ店の石山社長から六月一二日の支払期日の手形で一〇〇〇万円を借りたという野田供述の裏付けとなりうる。
(7) 六月一二日早朝の電話について
被告第一生命の調査に対し、原告花子は、六月一二日の早朝(五時三〇分過ぎ)、野田から太郎が阿久根に行ったかを尋ねる電話があったことを認めている(乙六10頁)。
この事実は、野田が六月一二日の早朝午前五時三五分ころ、原告花子方に電話をしたという野田供述に合致する。
(三) 合理性の有無について
(1) 野田供述による太郎の自殺に至る経緯の要点は次のとおりである。
(イ) 太郎は、原告会社の八億円を超える債務の返済に悩み、平成九年三月ころから、自殺して自分を被保険者とする生命保険の保険金を原告会社の債務の返済に充てること、自殺とわからないように交通事故を装って死ぬことを考え、その考えを原告会社の経理担当者である野田に話し、さらに高額の生命保険を掛け増した。
(ロ) 同年五月末頃、原告会社の資金繰りがいよいよ苦しくなると、太郎は自殺の決意を野田に告げ、生命保険の保険料の工面を指示した。原告会社は六月五日の手形不渡りの危機を乗り越えたが、太郎は、同月一〇日ころには、曽原社長を道連れにして交通事故に見せかけて自殺する決意であること、原告会社の債務は保険金で清算してほしいことや自分の死後の原告会社の運営についての希望を野田に伝え、それまで預けたことのなかった原告会社の印鑑を野田に預けるまでした。
(ハ) 野田は、太郎の自殺の決意の強いことを知り、大変心配していたが、六月一一日、太郎から曽原の連れ出しに失敗したという連絡があり、無事だったので、翌日の一二日には、同日が期限の一〇〇〇万円の借金の返済の延期を阿久根の債権者に直接依頼に行くべきこと、また信用金庫に原告会社の再建策の相談に一緒に訪れる予定があることを太郎に伝えたが、なお、太郎の自殺が心配で、一二日の早朝原告花子に太郎の無事を確認するため電話をし、同原告から、太郎が阿久根に向かったことを聞いて安心していたところ、太郎は本件事故により自殺した。
(2) この野田供述による太郎の自殺の動機、現実に自殺に至る過程は合理的であり、前後に矛盾はない。特に、軽四輪自動車を使うという自殺の方法についての太郎の話、六月一〇日ころ、曽原社長を道連れにして自殺するとの決意を野田に告げた際の太郎の言動、曽原の連れ出しには失敗したという一一日の太郎の行動に関する野田供述の内容は、原告の主張するような本件事故後に太郎の死が自殺であると説明するために頭の中で架空の事実を考案したとするには、余りにも具体的である。また、野田が六月一二日早朝五時三五分ころ原告花子方に電話をした事実があることは争いがないところ、仮に野田が太郎の自殺を心配していなければ、野田がこのような電話をかける必然性はないと考えられる(太郎が阿久根に出発したかどうかを確認するだけが目的であれば、出社後確認すれば足りる。)から、この電話の事実からも、野田供述の信用性が裏付けられる。しかも、太郎の死亡により支払われた生命保険金六億一八五〇万円は原告会社の債務の支払いに充てられたのであるから(甲一〇、証人井出ノ上10項)、本件事故の結果は、野田供述による太郎の意図したとおりの結果になっている。
(3) なお、原告は、太郎が自殺の決意という重要な事実を告げていたのは、原告会社の経理担当者に過ぎない野田一人だけというのは、不自然であると主張している。
しかしながら、太郎は、ワンマンな性格で、原告会社の常務であった兄二郎も怒ってやめてしまったり(乙六62頁)、家族関係についても、女性関係(乙川秋子)が原因で、事実上の別居状態にあった(乙六63)ことが、野田供述以外からも認められる。また、太郎の自殺が、保険金を原告会社の債務支払いに充て、自分の死後も家族が生活に困らないようにするということにあったとすれば、むしろ肉親にはその決意は告げ難いのが太郎の自然な感情ではないかとも考えられる。その点野田は原告会社の財務状況を社内では最も良く知る人物であるから、太郎が、野田に対し、保険金を原告会社の債務支払いに充てるために高額の生命保険に入り自殺するという意図を告げたことに特別不合理な点はない。
(四) まとめ
以上のとおりであって、野田供述は、客観的事実ともよく合致して重大な矛盾はなく、その他の証拠による裏付けもあり、また、内容においても合理的かつ具体的である。そうすると、野田供述は基本的に信用できるというべきである。
なお、原告らは、野田供述の信用性を否定する事実として野田の退社の経緯や、退社前は太郎の死が自殺であるとは言っていなかったという従前の言動を指摘しているが、仮に野田供述の動機に原告会社に対する意趣返しの意図があるとしても、野田供述の信用性は以上検討してきたとおりであり、基本的に肯定できると考えられる。また、退社前は野田も原告会社の社員であり、太郎の保険金の支払いについては、原告らと利害関係が一致していたのであるから、退社前に本件事故が自殺であることを明らかにしなかったのは、むしろ自然であろう。
3 野田供述により認められる事実
野田供述に基づいて、少なくとも、以下の各事実が認められる。
(一) 太郎は、平成九年三月ころ、自殺するので原告会社の債務は保険金で整理してほしいこと、自殺の方法として、自殺であることがわからないように、交通事故を装い車で他の車に衝突すること、その際には軽四輪自動車を使うことを野田に話していた。
(二) 平成九年五月末ころから原告会社の資金繰りは極めて悪化し、六月五日には手形が不渡りになる危機に直面した。
(三) 六月一〇日ころ、太郎は、野田に対し、強引な債権者を連れ出して自分の車に乗せ交通事故に見せかけて一緒に自殺するという強い決意を告げ、自分の死後の原告会社の債務の処理等について指示した上、原告会社の金庫の鍵を預けた。
五 結論
1 本件事故原因について
以上の本件事故の状況、太郎の保険契約の締結状況及び保険料の払込状況、本件事故当時の原告会社及び太郎の債務の状況並びに野田供述から認められる事実を総合的に考慮すると、本件事故は太郎の自殺であると認めることができる。
2 原告の請求について
右のとおり、本件事故は太郎の自殺であると認められるので、本件保険契約①〜④、⑥については、責任開始の日から起算して一年以内の自殺について保険金の支払い免責を定めた保険約款に該当し、また本件保険契約⑤の不慮の事故による死亡特約に基づく災害保険金については、被保険者の故意による死亡の場合の支払い免責を定めた保険約款に該当する。したがって、本件各保険金の支払いを拒否する被告らの主張には理由がある。
3 よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないので、これらを全部棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官榎下義康 裁判官牧真千子 裁判官冨田敦史)